鮮やかな言葉で
拙い言葉に色が付き始めてた だから僕は空を見上げた
TOKIOのリリックの一節。
この曲を聴くと、どうしてもTDCのあの夏を思い出す。
二十歳のふうまくんが誰よりも一番輝いていた、夏。
この歌詞について、以前長瀬くんがTVで話しているのを見て
わたしは、この曲がよりいっそう、好きになった。
『言葉っていうのは一番薄っぺらいものだと思っていて。
説明が下手だから言葉を選ぶことよりも気持ちのほうが走ってしまう。そういう拙い言葉っていうのは人を傷つけてしまったりとか、違うふうにとられたりしまったりするわけじゃない。
でもやっぱり、ずっと一緒にいたりとか好きって気持ちがあるとその言葉じゃない気持ちも感じるわけですよ。例えばシンプルな「ありがとう」の言葉でもただの「ありがとう」じゃなくて気持ちを感じる「ありがとう」に感じる。
その気持ちを色と僕は表現したんです。
言葉に色という気持ちがついて感じて、だから僕は空を見て感じるんだ…っていう。それで「何気ない言葉が胸の中にとけていく」っていう、そこに繋がるわけですよ。』
Welcome to Sexy Zone 大阪公演オーラス。
そして翌日に更新された風磨くんのばらびび。
もう連日エモがすぎてワケがわからないことになっている。
ステージ上の眩い光の中で生まれるまっすぐな言葉から
どれだけの気持ちを、まっすぐに受け取れているだろう。
私に届く言葉はどれだけ色づいているんだろう。
そんなことを少し考えた
わたしは、想いを言葉にすることが必ずしも正解だとは思わない。
日々の生活の中で、言わなくていいことだってたくさんある。
言葉にすること、テキストとして残すことで、
受け手によって捉え方が変わってしまうリスクもあるとおもう。
だからこそ、想いをまっすぐ言葉にする行為は難しくて怖いことだと日々ツイッターを使っていても思うのだけど。
この何の影響力もないただのおたくでさえ、そう思うのだ。
ただ、ふうまくんにとって、言葉にすることってすごく意味があるんだろうなと勝手に思っていて。
もちろん、一つは想いを『伝える』ための言葉として。
彼は自分の言葉に大きなパワーがあるのを知っていると思う。
いつもいろんな立場の受け手がいることを想って、真摯に言葉を選んでくれているなあと感じるし、何より言葉選びのセンスが良い。
あとは、自分への『意思表示』『決意表明』のための言葉。
そういう部分もあるのかなと思う。自分自身に言い聞かせるために言葉にしているような気がする時が結構ある。
特にオーラス後のばらひびの言葉は、すごくふうまくんらしくて。
何度も何度も消しては書き直して綴ってくれた言葉たちだろうと思うと、切なくなった
「不満があったら俺を恨んでください笑
でも、他の奴らは純粋だから恨まないでやってください。
俺は全然ウェルカム。笑」
こんな風に、ふうまくんは書いてくれていたけど、
それだけは私は違うと思うよ。
ふうまくんには、たくさんの人に愛される人であってほしいし、
そうなるべき人だとずっとずっと思ってる。
てっぺんをとるつもりなら、なおさら。
"君は君のままが綺麗で 君らしくていいじゃん。"
君のままの君は、誰かを敵にまわすような人じゃない。
もっともっと たくさんの人に愛されるべき人だと私は思います。
大切なモノや誰かを守るということは、
自分が傷ついてもいいということとイコールではないと私は思う。
だってふうまくんが大切にしているメンバーや仲間、ファンは
きっとそんな姿、望んでないよ。
君がみんなを守りたいと思うように、君を守りたいという人がいるんじゃないかなあ。
ふうまくんの覚悟は頼もしいし本当にかっこいいと思うけど。
わたしは、やっぱりふうまくんのファンとして
ふうまくんが悪く言われるのを聞くと悔しくなる。
なんで分かってくれないの?私は分かってるからいいもん!とはさすがにならないけど。(ふうまくんのこと何も知らないし、すべて憶測で希望で妄想だからね。笑)
何か上手くできたとき頑張ったときカッコいいとき可愛いとき
どんな時もこれでもかというくらいの声援で応えたいし褒め讃えたい。
甘やかしたいんです!!モンペだから!!!
文句なんて掻き消すくらいの声援で褒め殺したいくらいなわけです。
だから、ずーーーっと悔しかった。あぁ、わたし悔しかったんだなって。
ふうまくんのばらひびを読んでから、
意地になってた気持ちがストンって落ちてきて、素直にそう感じた。
何に悔しかったって、一番はきっと自分自身に悔しかった。
私は"あの時"も"今"も変わらずおんなじ気持ちで、どんな時も彼らをまっすぐ見てきたつもりだし、だからこそ今の彼らが大好きだって思える。
でも、体制が変わったあの日から、素直な気持ちをツイートできないことも増えて。
何度ツイート消したかなあ。別に悪いこと書いてないのに。
好きって気持ちを、どこか見ず知らずの誰かに遠慮して堂々と書けなかった。
でも今思うのは、彼らが一番不安だったときに、
ふうまくんのこと、3人のこと、聡マリちゃんんこと、もっとまっすぐ褒めてあげたかった。最高!!かっこいい!カワイイ!!スキ!!!ってもっと大きな声で言ってあげたかったなあ。と、本当にどうしようもないちっぽけな後悔でいっぱいである。。。
どれだけ叫んでも、きっと悲しい声に勝てなかっただろうとは思う。
応援している声が届いていなかったとは思わないけど、
きっと彼らの頭に残るのは、悲しい声が多かったんだとおもう。
別にセク鬱?ってやつを非難したいわけでは全くないんです。
それぞれが抱える想いが違うことは分かっているし、それを比べるつもりもない。
だってどんな気持ちだって彼らを大切に想って生まれたものだとおもうから
それに正解も不正解も絶対ないと私はおもう。
みんな根本は同じ「想い」のはずなのに、悲しい声として届いてしまったことが悔しかった。
あーそうか、悔しかったんだ、わたし。
そう思えたことで、何だかとても楽になったなあ。という話。
どうか、この先
彼らに向かうすべての愛が
彼らを優しく包んでくれますように。
彼らを包む言葉が鮮やかに色づき、彼らの道標となりますように。